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国語力を伸ばすための鍵は、「世界観」の獲得にあり

広島国語屋本舗現古館 館長の小林です。

 

国語の成績向上について多くのご相談をいただく中で、「テクニックを教えれば点数が上がる」という誤解が根強く存在することを実感しております。

 

しかし、読解力は表面的な解法テクニックでは決して身につきません。

 

その根底には、豊かな「経験知」と確固たる「世界観」の構築が不可欠なのです。

本の上に座る不届き者(Stable Diffusion作)

1. 経験知の蓄積が国語力の土台を作る

国語の力は、「テクニック」だけで測れるものではありません。

 

読解や表現といった能力の根底には、「経験知」の蓄積が必要不可欠です。

 

経験知とは、自分自身が見聞きしたり、感じたりして得られた知識や理解であり、それが読解力や表現力の背後にある「判断」の根拠となるのです。

 

しかしながら、年齢や環境によって得られる実体験には限りがあります。

 

そこで有効なのが、「疑似経験知」の活用です。

 

これは、読書や映像作品などを通じて、他人の人生や歴史的状況、人間の感情や思考を追体験することを指します。

 

現実の経験ほど強烈ではなくとも、適切な作品に触れれば、豊かな内的世界を築く手助けとなります。

 

疑似経験知の蓄積を通じて育つのが、「世界観」です。

 

ここでいう世界観とは、ファンタジーにおける架空の世界設定のことではありません。

 

「この世界において、人間とは何を考え、どうふるまう生き物なのか」——そうした視点をもって、自分が生きる社会や歴史に大づかみにでも目を向ける姿勢のことを指します。

 

評論文も、小説も、古文・漢文も、それぞれ特定の価値観や時代の人間観を前提として書かれています。

 

その前提をまったく共有していない者にとっては、著者の意図は霧の中のように感じられるでしょう。

 

自分の生きる現代社会についての理解、またそこに至るまでの歴史や文化への関心がなければ、そもそも読解は始まりません。

 

「それ、知らない」「興味ない」という言葉は、思考のシャッターを下ろす危険な兆候です。

 

さらに現代は、ネットのフィルターバブル——つまり自分が関心を示した情報ばかりが目につく仕組みによって、無意識のうちに世界観が偏ってしまう状況にあります。

 

「興味があるもの」だけに触れる生活は、知らず知らずのうちに視野を狭め、世界観の深まりを妨げます。

 

 

もちろん、「読書さえしていれば成績が上がる」などという単純な等式は成り立ちません。

 

しかし、日々の読書が経験知の土台となり、やがては文章理解や思考の深さに直結するのは確かな事実です。

 

歯磨きと同じく、「やる理由を毎回考えなくても自然とやっている」状態にしてしまうことが鍵です。

2. 世界観を獲得するための具体的な方策

世界観の構築には、戦略的なアプローチが必要です。

 

まず重要なのは、歴史を物語として読み、知っておくことです。

 

受験対策の年号暗記ではなく、「その時代の人々は、何を信じ、何に怒り、何に泣いたのか」を物語として捉えること。

 

例えば斎藤孝「イッキに読める!偉人伝」シリーズや小学館のマンガ「日本の歴史」「世界の歴史」などは、自分の生きる世界がどのように形づくられてきたのかを知るうえで役立ちます。

 

次に、異なる文化圏の小説や映画に触れることをお勧めします。

 

日本以外の視点——たとえばアジア・ヨーロッパ・アフリカ・中東などの作品に触れることで、「当たり前」が相対化され、自分の文化を新たな目で見られるようになります。

 

寡聞にして、デンマーク映画「アナザーラウンド」を最近見たのですが、デンマークでは16歳から飲酒が許可されていると知り驚きました。

 

また、評論でも小説でも、「この人はなぜこの表現を選んだのだろう?」「どうしてこんな展開になるのか?」と疑問をもって読み進める姿勢が、著者との対話につながります。

 

この「なぜこの人はこう書いたのか」を考える習慣こそが、深い読解力の源泉となるのです。

 

さらに、現代社会の課題に関心をもち、人間の営みを多面的に知ることも、世界観の形成につながります。

 

新聞やドキュメンタリーで「今」の世界に触れることで、とりわけ人権・経済格差・環境・ジェンダーなどは、あらゆる文章にしばしば現れる主題への理解が深まります。

 

東海テレビのドキュメンタリー映画は良質なものが多いですし、各テレビ局のYouTubeチャンネルでも、興味深いドキュメンタリー作品が多数アップされています。

 

 

上記のような様々な作品に触れたうえで、定期的な「振り返り」の時間を持つことも重要です。

 

読んだ作品や観た映像から何を感じたか、どのような人間像が描かれていたかを簡単にメモするだけでも、経験知の整理と定着に役立ちます。

3. 「家庭の対話」が言葉と世界観を育てる

「考える習慣を身につけましょう」とよく言われますが、それを子ども自身の努力にだけ委ねてしまうのは酷というものです。

 

人は本来、考えるために言葉を必要とし、言葉を発することで思考を深めていく生き物。

 

ならば、言葉が交わされる「場」が日常にあるかどうかが、思考の芽を育むうえで決定的に重要なのです。

 

その最も基本的で、最も力強い場こそが、家庭内の会話——とりわけ保護者の方と子どもとの対話です。

 

たとえば、読んだ本や観た映画について、「どうだった?」と訊くのではなく、「この人の気持ち、どう思う?」「あの場面、なんであんな展開になったんだろうね?」といった問いかけを通じて、感想を引き出し、言葉にしてもらうことが、世界観を内面化する訓練になります。

 

正しい答えを求める必要はありません。

 

むしろ「その感じ方、面白いね」「私だったらこう思ったかも」といった形で、親の視点も示しながら、言葉で思考する体験を積ませることが何よりの肥やしとなります。

 

子どもたちはネットやSNSを通じて、強い印象の言葉に触れやすい反面、自分自身の言葉でそれを捉え直す機会が極端に少ないのが現代の特徴です。

 

親子で対話を交わすことで、無自覚に取り込まれた価値観や情報を一度「自分の目」で見直す訓練となり、それが結果的に健全で厚みのある世界観の土台となるのです。

 

 

国語力の向上は一朝一夕では成し遂げられません。

 

しかし、経験知の蓄積と世界観の構築、そして家庭での豊かな対話を通じて、着実に子どもたちの言語能力と思考力を育むことができるのです。