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目先のゴールとしての入試

広島国語屋本舗現古館 館長の小林です。

 

私が国語の指導にあたって、常に意識しているのは「出口」としての大学入試です。

 

これは、中学・高校と積み重ねた学びが最終的に試される場であり、単なる知識の定着ではなく、読解力、思考力、表現力の真価が問われる舞台です。

 

これまでも何度も申し上げている通り、私が表現こそ変えながらも、全学年に同じ内容を伝えているのは「先」を意識しているからです。(生徒の到達段階に応じて、どこまで伝えるか、を調整しているのは言うまでもありません。)

 

処理しきれない壁

さて、大学入試を主戦場としていますと、中学入試、高校入試に対する生徒たちの向き合い方に苦言を呈することがままあります。

 

たとえば、現在の中学入試はしばしば過剰な負荷、いわゆる「オーバーワーク」の温床となっています。

 

30分では到底読みきれない文章量、処理しきれない設問数の模試を週1回のペースで課され、それを振り返る時間も与えられない。

 

そういった過酷な学習環境が珍しくありません。

 

また、語彙力の育成も「語彙プリントの暗記」に終始し、実際の文脈に出会った際には意味がつかめない。

 

結果として、本文の内容を精確につかむ読解力ではなく、傍線部周辺から“それらしい”箇所を抜き出す小手先の技術だけが育ってしまうのです。

 

こうした学習を続けた末に、一部のトップ層を除く多くの子どもたちが、まるで伸びきったゴムのように伸び悩むケースを幾度となく見てきました。

 

敵を知らず己を知らざれば…

また、高校入試は、地域によって状況が異なります。

 

少なくとも広島県の公立高校入試・国語は、全国的に見ても難度が平均レベルで、少子化の影響から倍率も年々下がっています。

 

しかし、中学入試を経験していない多くの子どもたちにとっては、そこが初めての「壁」になるのです。

 

その高さや厚さにグラデーションがあることに気付けないのです。

 

では、県内のトップ校に合格できれば将来は約束されたようなものでしょうか?

 

他県には、そのトップ校に匹敵するレベルの高校が5つも6つも集中している県もあるのですが、意識したことはあるのでしょうか?

 

ライバルの存在を意識しないまま大学入試という“全国戦”へ突入していく。

 

これは非常に危うい構造です。

入試の陥穽

 中学受験、高校受験、大学受験――いずれにも共通する最も大きな落とし穴は、「進学すること」をゴールだと錯覚してしまうことです。

 

たとえ現役で大学に進学しても、それはまだ18歳。

 

人生100年時代においては、むしろスタートラインに立ったばかりだと言えます。

 

この先、どれだけ社会が変化し、どれだけ新たな課題が生まれるかは予測がつきません。

 

だからこそ、目先の合格だけを追うのではなく、変化に適応できる柔軟でしなやかな知性を育むことが必要なのです。