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武器になる国語

広島国語屋本舗現古館 館長の小林です。

 

「国語の勉強に、そこまで時間をかけなくても何とかなる」

 

こうした声は、決して珍しくありません。

 

その背景には、「日本語だから、読めば何とかなるだろう」という甘い見積もりがあるようです。

 

しかし、現実はそう簡単ではありません。

 

もし本当に「日本語だから読めばある程度どうにかなる」のであれば、国語の平均点など存在しないはずです。

 

ですが実際は、大学入学共通テストや広島県の公立高校入試における国語の平均点は、どちらもおおよそ5〜6割。

 

つまり、中高で最も学力がついているはずの受験生たちでさえ、満点に遠く及ばないのが現状なのです。

国語の平均点が意味するもの

 

これは、決して彼らが怠けているからではありません。

 

むしろ、英語や数学などの主要科目に多くの学習時間を割きながら、国語も同程度の平均点を取ってきているのです。


言い換えれば、国語という科目は、相対的に少ない時間である程度の成果が出せる傾向にあります。

 

しかし、ここにさらに時間を投資すれば、それが大きな武器になるということでもあります。

 

いわゆる「差がつく科目」が国語なのです。

 

国語と日常語との差異

また、母語であるとはいえ、入試国語で用いられる「日本語」は、日常的に使う日本語とは大きく異なります。


たとえば、「時間は二度と戻らないんだから、大切にしようね。」という表現はすぐに意味が取れるでしょう。

 

しかし現代文の世界では、それが「時間の不可塑性」となる。

 

内容は同じでも、言葉の硬度が変わるだけで、理解の難易度は大きく変化します。

 

さらに、国語の文章が扱うテーマの深さも侮れません。


「自らの家を手放す決断をした定年後の父」や「肺結核で入院中の妻を想い月見草に癒される夫」

 

——そうした人物の心情を、10代の生徒が自然に理解するのは簡単ではありません。


部活動や友人関係など、身近な題材ばかりが出てくるわけではないのです。

 

特に大学入試においては、想像力と思考力を駆使して、まだ経験していない世界に踏み込まなければならない場面が多々あります。

 

だからこそ、国語には「なんとなく」で臨んではいけないのです。


本気で向き合い、適切な時間をかけて、適切な対策を講じる必要があります。

 

 

広島国語屋本舗 現古館では、そのための環境と指導を提供しています。


国語を、ただの「日本語」から、「得点源」へと変えていきましょう。