広島国語屋本舗現古館 館長の小林です。
私も過去に何度か紹介したことがありますが、今回は新井紀子氏の主張する「論理的思考」は、単なる情報処理能力にとどまっているのではないか、という問題提起です。
ここでは、学習者の皆さんに向けて、文章を読み解く力と情報処理との関係についてお伝えします。

論理=情報処理では拾いきれないもの
新井氏が提唱する論理的思考は、与えられた前提を整理し、モデル化し、結論を導き出すという一連のステップを重視します。
確かにこれらの手法は、説明文や論説文の読解にはある程度役立ちます。
しかし、文学的文章に限らず、RST(リーディングスキルテスト)のように、「そのために作られた」文章でなければ、言葉のはざまに隠れた余白や、読者の想像を必要とする部分が多く存在します。
たとえば、誰もが一度は耳にしたことのある『アンパンマンのマーチ』の一節。
「時ははやくすぎる 光る星は消える だからぼくはいくんだ ほほえんで」
ここで用いられる「だから」は単なる因果関係を意味しません。
「時ははやくすぎる」「だからいくんだ」
この論理の飛躍があるからこそ、破壊力をもった表現になるのです。
しかし、意見飛躍したように見える論理関係でも、その飛躍の間にあるものを私たちは考え、受け取り、「だからいくんだ!」の意味を理解していくのです。

しかし、解答は一意に定まる
とはいえ、実際の入試や定期試験では「答えのない設問」は一切出題されません。(少なくとも、そうあるべきです。)
詩的な表現や論理の飛躍があっても、本文のそれ以外の箇所や問題文の誘導によって、解答の方向性が一意に定まるように作られています。(内容は一意、表現は多様、というのも重要なポイントです。作問者があえて解答の幅が広い問いを立てることもあります。)
こうした周辺情報を根拠とした囲い込みを行うことで、自由な「感性」に頼るのではなく、文章の中にあるヒントをくまなく探索し、「論理的」に整理しながら答えを導くことが可能になります。
その意味では、「情報探索能力」もまた重要ではありますね。

総合的な営みとしての読解
だからこそ、文章の読解では、次のような力が重要です。
・言葉に書かれていない背景や感情を、知識と照らし合わせて補う。
・比喩や象徴が示す意味を、テクスト内部の手がかりから読み解く。
・一見論理的なつながりが感じられない文章でも、周辺の情報をヒントに類推する。
これらは、単なる機械的な情報処理とは異なる、文章読解の本質といえるでしょう。
新井紀子氏の言う「情報処理的論理」は、文章読解の入り口としては有用な側面もあります。
ただし、広島国語屋本舗現古館では読解という営為を、文章の内容を精確に理解するための総合的な営みとして訓練していきます。