効率の追いどころ

広島国語屋本舗現古館 館長の小林です。

 

生徒の休憩時間の過ごし方が、「ショート動画」を見ることになってから久しいです。

 

媒体はYouTubeだったり、TikTokだったり、インスタリールだったり、様々ありますが、中身はほとんどニアリーイコール。

 

どんぐりをたどってみたり、某国民的ヒーローの中身をえっほえっほと告発してみたり、通行人にバスケットボールを投げることを強要してみたりします。

 

動画配信サービスを倍速で視聴する様は、「こち亀」の世界ではギャグとして描かれていましたが、もはや見慣れた光景になってきています。

こうした向きを「現代の病」として切り捨てることは非常に簡単なのですが、時代は移ろうことはあっても逆行することはありませんから、「タイパばかりを求める危険性」を叫んでみたところで、現状は変わりません。

 

ただ、こと国語学習の場面においては(国語に限らずともそうでしょうが)、時間効率を追う部分を間違えてしまうと、時間をかけたわりに何も身につかない、結果的に「タイパの悪い」、明後日の方向を向いた努力を重ねてしまった、ということになりかねません。

 

ですから、どこに時間をかけるのか、効率の追いどころを判断する必要があります。

先日、塾の経営者・講師の集まる会合に参加してきました。

 

石川県でトップ2の進学実績を出す塾の先生の主張と私の主張が重なる部分がありましたので、ご紹介します。

 

「国語は小学生までで完成させる」

 

ここで言う「完成」とは、国語の問題の基本形式である「どういうこと」問題、「なぜ」問題の解法の習得のことだと私は定義しています。

 

勿論、漢字の読み書き、故事成語やことわざを踏まえた語彙、心情語や評論テーマについての知識の習得も大切です。

 

しかし、それは単語の一問一答のように、無機質に暗記していくものではなく、文章の中で確認し、自分で文を作って利用してみながら身に付けていくものです。

 

単純に見える語彙の「暗記」ですが、むしろ文章の読み方の習得、読解力の向上と密接な関わりをもった、時間をかけて身に付けていくべきものなんですね。

 

逆に、問題の解き方・考え方のハードの部分については、小中高と学年が変わっても、条件付けが複雑化する程度で、基本方針は変わりません。

 

知っておき、問題を解く度にそれを思い出し、利用していれば、国語の「解き方」については早い段階で「完成」します。

 

「時間をかけるべきところ」に時間をかけるためにも、「解き方」について知り、それを用いて演習する訓練は、早ければ早いほどいい。

 

現古館はそういう考え方の塾です。